その夜は、胸騒ぎがした。







微笑みを






音も立てずに、寝台を滑り降りる。
降ろした紫苑の髪が、房になって肩に落ちた。

額に浮かんだ冷や汗を拭うと、上着を羽織る。
背筋を奔った氷の感覚に、軽く身震いする。

上着に袖を通すと、静かな寝室を後にした。




特にあてもなく、ふらふらと海岸を歩いていく。
静かな夜の闇に、細波の音が響く。
何かを掻き立てるような、焦燥感を煽るような音だった。

足の下で砂が擦れる音が、鳴き声のように鳴る。


砂浜を眺めていた視線を、違和感に気が付いて上げた。

岩の影が花曇りの中の満月のように、ぼんやりと光を発している。

知らずに足を止め、その碧の輝きを息を飲んで眺めていた。


はっとして肺が空になるまで息を吐くと、再び歩みを進めた。

彼が部屋に居なかったのは知っている。




「センセ?」

岩に手を掛け、少し腰をかがめてのぞき込む。
淡く、新緑のように輝く人は、驚いたように顔を上げた。

「スカーレル……! どうしてここに?」

それには答えず、唇に微笑を乗せる。
何より、その答えは自分が知りたかった。

未だに目を見開いたままの彼の隣に腰を下ろし、足を揃えて倒した。

「センセこそ、どうしたの?」

碧に染まった瞳を見上げ、自然と視線が左手に移る。
その手では碧の暴君と呼ばれる魔剣が、存在を誇示するように輝いていた。

「なんとなく眠れなくて……ここに来たんだけど。」

彼は困ったように目を細める。
首を傾げた時に、銀の長い髪が揺れた。

「……剣の意志が語りかけて来たんだよ。」

軽く左手の剣を持ち上げて見せる。
それを一瞥すると、再び碧の瞳に視線を戻した。

何か、胸騒ぎのようなものを覚える。

「剣が……何を?」
「もう、これ以上、剣を抜くなって」

軽く目を見張り、少し上にある穏やかな苦笑を見上げる。
喉に何かが詰まったように、巧く言葉が出ない。

どうしていいかわからず、光を放つ彼の手に手を重ねた。


すると、突然腕が強い力で引っ張られる。
体勢を立て直す余裕もなく、砂の上に横たえられていた。

視界の半分ほどは、碧がかった銀色で埋まっている。

「……レックス?」

やっと外に出た声は、意外なほど落ち着いていた。
腕を引いていた手で肩を押さえられ、身体を起こす余裕もない。

目を見開いていると、荒々しく口付けられた。
普段の彼よりも力強く、荒れた動きに翻弄される。

息を継ぐ間も惜しむように、呼吸さえも奪われる。


意識に霞が掛かる頃、ようやく解放された。
息を乱し、朦朧としながら彼を見上げる。

彼は、剣を砂に突き刺し、片膝を立てている。
銀糸の髪はさながら、たてがみのようで、月夜の狼を思わせた。

だが、その表情は暗い。
戸惑ったような、路頭に迷う仔羊のような顔だった。


「……ごめん。」

困ったように呟き、スカーレルを抱き起こす。
背中の砂を払い落としていく手は、いつもの通りに優しかった。

「いいえ……でも、どうしたの?」

目を閉じて力無く首を振るレックスを、見上げて軽く頷いた。

「剣は、抜かない方がいいみたいね」
「……そうだね」

同意と同時に、レックスの身体が光を放つ。
目を細めてそれをやり過ごすと、剣は姿を消していた。
いつもの彼の、紺の瞳に紅い髪だ。

思わず、ほっと息を吐く。

「ごめん……大丈夫?」

優しく問いかける声に頷き、しっかりと立ち上がった。
振り向いて手を伸ばす。

「帰りましょ」

努めて明るく見えるような笑みを浮かべ、手を差し伸べる。
躊躇い無く握ってきた手は、暖かかった。

「うん。帰ろう」


優しい微笑みに心底安堵するのが、自分でもわかる。
胸騒ぎはいつの間にか、消えて無くなっていた。


この微笑みを、奪わせたりはしない。

辺りには、細波と砂の鳴く音だけが響いていた。







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